東京五輪オリンピックで柔道金メダルを兄妹でともに獲得した、阿部一二三さん、詩さん。「阿部きょうだい」と、今大変話題になっていますね!
私もテレビで応援していて、兄妹二人が金を勝ち取った時とても感動しました。
今回はそのお2人の兄妹がどのような子ども時代だったのか、2人の幼少期や、家族、ご両親の教育のエピソードなどをまとめてみました。
ケンカをしつつも仲良しの3兄妹
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2人の兄、心優しい長男の存在。
「勇がいなかったら二人はここにいない」
一二三さんと詩さんは、3人兄妹の次男と長女で、2人の上には長男である勇一朗さんがいらっしゃいます。今は2人の兄妹が注目を浴びていますが、その2人の成長のそばに長男の勇一朗さんの存在があったからこそ、ここまで柔道を頑張ってこれたと、一二三さんは語られています。
勇一朗さんは子どものころ柔道に興味なかったようですが、当時まだ弱くて泣きじゃくる弟の一二三さんのためにあえて一緒に練習に通ってくれる優しい、頼もしい存在だったようです。2人が金メダルを獲得できた背景には、幼少期からの長男勇一朗さんの心優しいサポートがあったのですね。
お父さんの浩二さんも、「二人は長男を尊敬している。勇がいなかったら二人はここにいない」と断言。一二三さんと詩さんも「支えてもらっている」と口をそろえ、感謝の気持ちをインタビューで語られています。
素敵な兄妹愛を感じますし、親も日の当たる部分だけじゃなく、3人それぞれの良さをみてくれているんだなというのが、伝わってきますね。
「ごわごわした柔道着の肌触りが好きじゃなかった」と柔道には興味がなかったが、泣きじゃくる一二三のために一緒に練習に通ってあげた。「お兄ちゃんが入ってくれて心強かったし、柔道をやめたいとは思わなかった」と一二三は回想する。 (出典:asahi.com)
父・浩二さんは「二人は長男を尊敬している。勇がいなかったら二人はここにいない」と断言する。 (出典:sanspo.com)
心優しい長男に対し、「支えてもらっている」と二人は口をそろえる。勇一朗さんへの恩返しが込められた2つの金メダルだった。 (出典:sanspo.com)
お母さんに取り上げられるほど、よくケンカをしていた幼少期。
カードゲームで兄弟喧嘩と聞くと、一気に親近感わきます(笑)。それで、UNOをお母さんに取り上げられてたとか(笑)、よくある家族の光景ですね。
そんなエピソードからも幼少期は、よく一緒に遊び、よく喧嘩もする仲良しの兄妹だったんだなってのが伺いしれますね。
幼少期はカードゲームをめぐってよくケンカをしていたが、今は互いに刺激を与え合い、精神的な支えとなる存在。(出典:olympics.com)
普段は至って普通の兄と妹。小学生時代はカードゲームの「UNO」で遊んでいてよくケンカをした。「(リーチの時に)『UNO』って言わないとあかんのに『言ってへんやん!』ってケンカになって、お母さんに取り上げられていました」(詩)。
当時からきょうだいの仲が良く、妹はよく兄の練習に付き添っていた。(出典:olympics.com)
2人の性格は正反対?
阿部兄妹が幼いころから親しんだ店 「よりみち」の店主によると、兄弟の子どもの頃は性格が正反対で、詩さんが負けん気の強い子で有名なくらい積極的で活発な子だったそうですが、一二三さんはそれとは対照的で、お小遣いも自分から親にねだることもなかったようなおとなしい子だったそうです。
兄妹は、よく性格が正反対とは聞きますが、このお二人も子どもの頃はそんな感じだったようですね。そういう「違い」がお互いにフォローしあいながらいい影響を与え合う関係になっていったのでしょうね。
兄妹は、幼いころは反対の性格でしたね。小学校の運動会での騎馬戦では、男の子たちは詩ちゃんにまったく敵わなかった。あの子は当時から負けん気が強くて有名やったんです。 対照的に、一二三君はおとなしい子でしたよ。詩ちゃんはよくお母さんの愛さんに、おやつを飼うためのお小遣いをよくねだっていたけど、一二三君は『ちょうだい』とは言わへんかったって。今は見るからに元気な感じの男の子やけど、少なくともちっちゃいころはおとなしい子でしたね(出典:news.biglobe.ne.jp)
ライバルであり、尊敬し合う関係。「自分の子ながら素晴らしい」
お父さんの浩二さんは、2人のことを「ライバルでもあるけど、尊敬し合っている。自分の子ながら素晴らしい」と語れていますね。自分の子を素晴らしいと純粋に感じられるその親心もまた素敵ですよね。
昔はカードゲームでけんかをすることもあった。「私が中学生になってからは全くけんかをしない」という。「柔道をしている兄が好きで尊敬している。すごく魅力的」。 (出典:sanspo.com)
お互い大きくなるにつれて、きょうだいゲンカもしなくなった。(出典:daily.co.jp)
「きょうだい2人はライバルでもあるけど、尊敬し合っている。自分の子ながら素晴らしい」。 (出典:chunichi.co.jp)
子どもの頃「練習嫌いだった」阿部 詩さん
兄の影響で、5歳で柔道を始めた詩さん。金メダル獲得の時のその喜びを体中で表現されていた姿に、テレビの前で心を奪われた方も多かったのでは。
そんな柔道の試合の時の顔と、プライベートの顔のギャップの可愛さも話題にもなっていますが、幼い頃は、どんなお子さんで、どんな幼少期を過ごされていたのでしょうか。
気になるエピソードをいくつかご紹介いたします。
天真爛漫な少女時代。
幼少期から「天真爛漫」なお子さんだったようですね。子ども心を持ち合わせるようなその天真爛漫な笑顔は、今もさまざまなところで見せてくれていますよね。
高田さんが「詩は天真爛漫(らんまん)。コミュニケーションをとりながら頑張っていくタイプ。めそめそ泣くようなことはなかった」と振り返る。 (出典:sanspo.com)
兄を追い続けた幼少期。両親の意向を押し切って、“「自分もやる」”
お父さんは、「女の子だからピアノを」と考えていたようで、最初は詩さんに柔道をおすすめしなかったようですね。でも、好奇心の旺盛な詩さんは、兄のやることはなんでもやってみたいと思う子だったようです。
両親は女の子だから強要するつもりはなかったが、「自分もやる」と詩は聞かなかったという。「好奇心はすごかった。(『離れ小島』には)面白がって取り組んでいた」。(出典:sanspo.com)
詩選手は、ボウリングや水泳など一二三選手のやることはすべて追い続けました。5歳で始めた柔道も兄の影響でしたが、勇一朗さん曰く「(柔道は)詩が一番センスあったと思います。最初は遊びでやっていたのに、試合で見ていて映える動きをすごくしているのが印象深いですね」。(出典:nhk.or.jp)
「かつては練習嫌いの末っ子キャラクター」
そんな好奇心の旺盛な詩さんも、当時は「練習嫌い」なキャラクターだったらしく、兄のトレーニングについていっても、見学だけだったとか。
ただ、柔道に関しては天才肌だったらしく、すぐに兄の真似をしては技を習得していくピカイチのセンスが備わっていたようです。
かつては練習嫌いの末っ子キャラクター。父・浩二さんと毎日トレーニングをする一二三に付いていっては、ジュースを飲みながら見学するだけだった。ただ、柔道を始めてからは天才肌らしく、教わった技をすぐに習得した。柔道スタイルが似ているのも、兄の技を見て盗んで身に付けたからだった。 (出典:sponichi.co.jp)
柔道女子52キロ級の阿部詩(21=日体大)が、決勝でブシャール(フランス)を破り、五輪初出場で金メダルに輝いた。同階級…
兄を追って、詩選手が同じ道場に通い始めたのは5歳の時。「友達の輪の中に入って、おしゃべりするのが楽しかった。柔道には興味がないので、練習はサボっていました」と笑う。(出典:yomiuri.co.jp)
子どもの頃、道場一の「泣き虫」だった阿部 一二三さん
テレビで柔道を見たことがきっかけで、6歳で柔道を始めた一二三さん。勝った喜びを身体中で表現した詩さんとは正反対で、試合後にも表情を崩さず淡々とした表情を貫いていたのが、印象的でしたよね。
そんな一二三さんの幼少期を調べてみると、意外に意外。関係者の方は口をそろえて、負けてばかりでよく泣く子だったと語っていらっしゃいます。
体も小さく、同年代の女の子にもたびたび負けていたそうで、その悔しさで人一倍に練習を重ね努力してきた、今回の金メダルもその努力の賜物だということがわかりました。
「投げられて投げられて。泣きながら通っていた」
泣き虫だった子ども時代。
テレビで柔道をみたことで興味をもって、柔道に通い始めた一二三さんですが、最初の頃は、力も弱く投げられてばかりで泣いてばかりだったようですね。
そんな中でも、2歳上のお兄さんが見守りとして一緒に柔道をならってくれたこともあって、勇気づけられ練習に励むようになったというエピソードが多く語られています。
最初のうちは練習に行きたくないと壁にへばり付いて駄々をこねるなどよく怖がって泣いていたことから、2歳年上の兄も一緒に道場へ付き添っていたものの、そのうち泣かなくなると兄は辞めていった。 (出典:wikipedia.org)
一二三は泣き虫だった。体の大きな同級生や上級生を見るだけで、道場で泣いていた。(出典:news.yahoo.co.jp)
一二三(23)はかつて、少年道場一の「泣き虫」だったという。「(小さいころの一二三は)うちにお父さんが『道場へ行くぞ』と呼びに来ると、泣きだして。ゆっくりお菓子を選びたかったようです」 (出典:news.yahoo.co.jp)
「投げられて投げられて。泣きながら通っていた」と母の愛さん(49)は懐かしむ。あまりに泣きやまないので、長兄の勇一朗さん(25)が見守り役で入会したほどだった。 (出典:kobe-np.co.jp)
体も小さく、力も弱く、女の子にもよく負けた、
“決して目立つ生徒ではなかった”子ども時代。
もともと体も小さく、力も弱かったので、同年代の女の子にもよく負けて悔しい思いを何度もされていたようです。そんな一二三さんだったので、道場内でも「決して目立つ生徒ではなかった」そうです。
ただ、他と違ったのは、稽古が終わっても「まだやらせてください」と道場の先生に頼み込んで練習に励んでいたとか。そんな努力が、「同世代に敵なし」と言われるまでになったと、お母さんの愛さんも語られています。
一二三は体が小さかった。力も弱いし、技をかけられるとすぐ転がる。最初は女の子にも負けた。 (出典:news.yahoo.co.jp)
他の子が休憩していても体を動かし、稽古が終わると「まだやらせてください」と道場の先生に頼み込んだ。それでも体が小さいから、なかなか試合で勝てなかった。(出典:news.yahoo.co.jp)
指導した高田幸博さん(57)は「体が小さく、ごく普通の子。同級生や女子に負けていたし、強くなるとは思わなかった」と、決して目立つ生徒ではなかった。(出典:tokyo-np.co.jp)
今でこそ剛毅(ごうき)な一二三だが、小学生時代は女子選手にも力負けし、悔し涙を流すことも多かった。母の愛さん(49)は「何でもすぐできるわけではないから、何でも一生懸命にやる」と振り返っている。トップ選手の練習法を知ると、全てまねた。中学でも昼休みを惜しんで練習に明け暮れ、「同世代に敵なし」といわれるまでに。(出典:iza.ne.jp)
父「天才なんかじゃない」「努力だけでここまできた」by 父の浩二さん
お父さんの浩二さんも、一二三さんのことを、「努力でここまできた」と、一二三さんの金メダル獲得の背景を語られていますね。
「一二三」という名前の由来は「何事も一歩ずつ」という願いをこめて名付けられたそうでですが、まさにその名前の通り、一歩づつ努力を重ねてきて、頂点まで上り詰めてきたんですね。
父は「天才なんかじゃない。センスはないけど、努力だけでここまできた。1ミリを積み重ねて10センチ、1メートルとつなげてきた」と振り返る。一二三選手の名前の由来は「何事も1歩ずつ」。その名の通りの歩みだった。(出典:tokyo-np.co.jp)
浩二さんはかつて一二三の強さについて、「天才なんかじゃない。どんくさい。1ミリ(の努力)を積み重ねて10センチ、1メートルにつなげてきたんちゃうかな」と語った。(出典:news.yahoo.co.jp)
他の子が休憩していても体を動かし、稽古が終わると「まだやらせてください」と道場の先生に頼み込んだ。それでも体が小さいから、なかなか試合で勝てなかった。(出典:asahi.com)
「今の自分があるのは親のおかげ」
そんな一二三さん、家族への感謝の思いも「今の自分があるのは親のおかげ」と述べられていています。自身の努力だけじゃなく、家族からのサポートに対しても感謝する気持ちがあったからこそ、頑張ってこれたといのもあるんでしょう。お互いに尊敬し合い感謝しあえる本当に素敵な家族ですね!
胸に秘めていたのは苦境を支えてくれた家族への思いだった。「今の自分があるのは親のおかげ。もっと親孝行したい」。五輪金メダルへの出発点に立ち「やっと少し恩返しができたかな」と笑みを見せた。(出典:kobe-np.co.jp)
信じ続けれくれた先生の存在。
他人がどう言おうと、「いずれ必ず芽が出る」と信じていた先生。
努力の成果がでるまえに、まだまだ弱かった一二三さんに対して厳しい声もあったなかで、道場の先生は「いずれ必ず芽が出る」と信じれてくれていたようですね。やはり、周りの大人が「信じて見守り続ける」って大切ですね。
「阿部が勝ってくれればチームが団体戦で勝てるのに」。通っていた道場ではそんな声も出ていたが、人一倍の努力を見ている先生は「いずれ必ず芽が出る」と信じていた。 (出典:news.yahoo.co.jp)
子どもと同じ目線で喜びや悲しみを共にしてきた、お母さんの愛さん。
写真でみても、優しい雰囲気の伝わる、お母さんの愛さん。「勝ったときも負けたときも一緒の思いを共有してきた」という言葉どおり、子どもたちに常に寄り添い、一緒の目線で喜びも悲しみも共有してきてきたんだろうなと感じました。
子どもが1人で試合に挑むときも、「チーム阿部」として一緒に挑んでるともインタビューに答えられていましたが、やはり、親と子の関係は「上から」ではなく「ともに」というのが大切なんですよね。
「家族で闘うと決めているんです」
「家族で闘うと決めているんです」。阿部が2018年に世界選手権を2連覇した頃、母の愛さん(48)が口にした。畳に立つのは1人でも、いつも「チーム阿部」として挑んでいると。(出典:kobe-np.co.jp)
「勝ったときも負けたときも一緒の思いを共有してきた」
両親ともいつの頃からか、息子や娘の試合を動画で撮らなくなった。客席から全力で応援するためだ。「勝ったときも負けたときも一緒の思いを共有してきた」と愛さんは語る。(出典:kobe-np.co.jp)
子どもの力を信じサポートし続けた、お父さんの浩二さん。
阿部きょうだいのお父さんは、過去に国体にも出場された元競泳選手だそうです。お二人の相当な努力に加えて、備わっていたのは、お父さんから受け継いだ持って生まれた身体能力の影響もあったのかもしれませんね。
また、子どもが挫折を味わっているときも「お前が一番強い」と、子どもの力を信じてきた、お父さんの存在は、阿部兄妹には大きかったんだろうと思います。一二三さんはお父さんのことを「一番大きな存在」とも語られています。
そんなふうに子どもが思える父親の有り様は素晴らしい関係性だと思います。どんなときも、子どもを信じ、サポートしつづけたからこその一二三さんからの感謝の気持ちですよね。
“それでも父は「お前が一番強い」”
高校時代から「東京五輪の星」として脚光を浴びていた阿部が丸山に連敗し、五輪代表レースで崖っぷちに立った昨年夏。それでも父は「お前が一番強い」と背中を押した。「気持ちを強く持てた。(父は)一番大きな存在」と阿部。(出典:kobe-np.co.jp)
「僕らは毎日、幸せをもらっている。感謝しかない」
そして、お父さんのコメントもまた素敵です。「僕らは毎日、幸せをもらっている」… 。こんなふうに親が、子どもに感謝をできる心、とっても大切だなと感じました。
自国五輪の看板選手に育った息子と娘に「僕らは毎日、幸せをもらっている。感謝しかない」と浩二さん。(出典:kobe-np.co.jp)
感想まとめ
子どもたちは親に支えられきたと感謝し、親は子どもに毎日幸せをもらえてると感謝しあってる家族、本当に素敵だなと思いました。兄妹同士も互いに、成長を刺激しあい、存在に感謝しあえてる姿に、素晴らしい兄弟愛も感じました。お互いに感謝し合う心が、阿部きょうだいの家族には、幼少期からあふれていたということが、今回色々と調べてわかりました。
兄妹それぞれに性格も特性も違うなか、その違いを補い合い、刺激しあい、尊重しあいながら、兄妹はともに成長してきたんだということもよくわかりました。そして、そんな子どもたちを信じ続け、サポートし続けてきたご両親や先生の愛があってこその、今回のメダル獲得だったのだということも。
今回調べてみて、特に印象的だったのは、泣き虫で力の弱かった一二三さんの幼少期。今のたくましい一二三さんからはそんなか弱い幼少期は想像もできませんでした。子ども時代の弱点は、周りのサポート次第で、いくらでも「強み」になる…。そんなことを、改めて学ぶことができました。
私も、親として、子どもたちの一見ネガティブと捉われがちな「弱点」を、いかに、プラスに変換させてあげれるか、いかにその子の力を信じ切ることができるか、そんな親になりたいと今回改めて思いました。
阿部きょうだいの今後もとっても楽しみですね!