新年も明け、冬休みもあっという間に終わりを迎えようよしていますね。「明けましておめでとう!」と新年の祝いムードで溢れている中、3学期がもうすぐ始まろうとしている事に、気持ちが沈み、心が晴れない子どももいるのかもしれないなあ…とそんなことを、ふと考えてしまったので、今回この記事を書きます。
私には、小2の息子がいて、今の彼は楽しく学校に通っている様子ですが、実は息子が1年生の1学期途中から「学校に行きたくない」と泣く日が続いて、1学期後半からは週の半分だけ学校に通うという時期がありました。
その時の体験から、気付かされて学んだ事があったので、その気づきをここで書いてみたいと思います。
1つの参考にしていただければ幸いです☆
「学校に行きたくない」
息子に「学校に行きたくない」と泣かれた初日に、まず私が思ったことはこうでした。
「ここで、いいよと言って学校を休ませてしまったら、小1のはじめでつまづいたまま、ずっと行かなくなってしまうかもしれない。ここは、無理にでも学校に行かせないと」
そうして、最初私は子どもに耳を傾けるフリはしたものの、どうにかして「行かせる」方向に持っていこうと、言葉の返しを頑張りました。
息子の行きたくない理由は、ある女の子から嫌なことを言われる、とのこと。
私は、その時こう思います。
「そんなことでいちいち傷ついて、そんな理由でいちいち学校休むなんてそれはない」
何を言っても言い返してくる息子に、イライラして、こう言い返してしまうのです。
「自分も、その子に嫌なこと言ったりしたんじゃない?」
「そんくらいの事で、学校を休むのは良くないよ」
そして、なんとかして無理にでも学校に行かせていました。
「もうママには何も話さない」
そのうち、ケロッと行くようになるかなと思っていましたが、
次の日も次の日も、息子は朝、泣き出し「学校行きたくない」と言い出し、私はどうにかして無理やり言い聞かせ、行かせるというのを繰り返していた1週間後、息子に言われた言葉に衝撃を受けてしまいます。
「もうママには何も話さない。僕の気持ち、わかってくれない。」
「なんでもママに話してほしい、心を開いてほしい、子どもの気持ちを一番理解する存在でいたい」
ずっとそんなふうに思って子育てをしてきた自分にとって、息子の言葉は、かなりショッキングでした。
すごくすごく泣いたと思います。
すごくすごく反省しました。
「ああ、私、子どもの気持ちに寄り添おうとしてなかった。なんとかして学校に行かせることばかり考えていた」
起き忘れそうになったもの
親と子の信頼関係、心の距離、の大切さを置き忘れて進むところでした。
息子の言葉で気づかされた私は、その日から、自分の言葉と行動を変えました。
「学校に行きたくない」という息子の言葉に対して、「じゃあ〜、今日はままとデート行こうか!どこ行きたい?」と返してみました。
そして、息子と、科学館に行って見たり、ショッピングセンターに行ってみたり、2人だけの時間を楽しんでみました。
そうすると、息子が「今日休んで遊んだから、明日は学校行く」と言うようになり、自ら学校に行くと決めて行くようになりました。
そんなふうに、1日休んでは次の日1日学校に行く、というスタイルが1学期の後半続きました。
戸惑い、葛藤する日々
その間、息子の心に寄り添うことを心に決めていたものの、周りからは心ないことを言われてすごくすごく落ち込んでしまったり、自分の時間もなくなって仕事もできなくなるし、やっぱり、本心では、「学校に毎日行ってほしい」「このまま不登校になると、この先どうしよう…」という漠然な不安ばかり募っていました。ずっとモヤモヤして葛藤していたのは、正直なところです。
息子にも、やっぱりそういうのは若干伝わってしまっていたのかもなあ..というのは今振り返っても思います。
元々、自分は不登校に関しても知識もある方で、寛容だと思っていたのに、いざ自分の子どもがそういう状況になると、こんなにも不安定になってしまうのかと、自分でも戸惑いました。
息子を守りたい一心で私がとった行動
その後、夏休みに入り2学期が始まろうとする頃、また息子が「学校に行きたくない」と言い出しました。
私はその時、何かの想いに取り憑かれたかのように
「もう、私が学校に、先生に、その子どもに話に行く!」と、
息子の手を握って、一緒に小学校に行き、まず校門で立っている校長先生に想いを伝え、
そのあと、小学校の中に入って、息子にずっと意地悪なことをすると言う子どもにも(優しく状況を)話してみました。
クラスの担任、補助の先生にも、想いを伝えました。
ずっと、息子の手を握って。
今思えばあの時、「学校が辛い」と涙を流す息子を守りたい一心だけでした。
その次の日から、今日まで、息子は1日も学校を休むことなく、楽しそうに学校に通っています。
息子は、あの時、親が必死に自分を守ろうと、全力で自分の味方でいてくれるという姿を、全身で感じ取ってくれていたのかもしれません。
息子を変えたもの
あの日を境に、息子は変わった気がします。
息子を変えた力というのは、
親が、自分の気持ちをありのまま受け入れてくれたという安心感と、親が全身全霊で自分を守ってくれたという心強さ、
だったのかもしれません。
親はどこまで介入していいのか
これは、ずっと悩んで葛藤していました。
いじめならば、すぐにでも大人が介入して止めるべきと思いますが、今回の息子のケースは、1人の子が意地悪な事を言ってくる、という問題でした。
なので、できる限り、親は介入せずに、自分で問題解決して欲しいという願いがありました。
突き放すことも必要かなとも思いました。
だから、最初は、無理やりにでも学校に行かせたという経緯もありました。
傷つく基準は子どもによって違う
でも、子どもが「ママにはもう何も話さない」と言ったことで、気づかされ、本やネットでも色々と調べたところ、息子は、とても敏感で傷つきやすいHSC(ハイリー・センシティブ・チャイルド)という事がわかってきたのです。
なので、子どもの特徴によっても、大人のフォローの仕方が変わるんだということも学びました。子どもの傷つきやすさも、子どもによって違うということ。
大人の基準で、これくらいで傷つくなんて…というのは一方的な偏見だったんだという反省をしました。
必要であれば、大人がサポートしてあげる
息子の場合、不登校気味な状態が1ヶ月以上続いていました。私の場合、その期間が長引いてた事で、大人の自分が問題に介入するきっかけになったと思います。
いじめではなかったので、出来るなら自分で解決して欲しいと思っていたけど、自分の力だけでは難しいのだと、理解しました。
だから、大人の私が介入した。学校と先生と、その子どもに話にいった。
あの時は、必要だったのですよね。それ以降、息子は同じ事があっても、自分の力で乗り越えているようです。
学校に行きたくない理由は、子どもによって様々
今回の息子のケースは、それから学校に楽しく通うようになりましたが、それは、成功、失敗とかそういうものでは決してなく、息子の場合、まだ大丈夫なものだったというだけだと思っています。
子どもによって、「学校に行きたくない」理由は様々です。
学校特質の集団行動や管理体制の中で過ごすことに、普通以上に敏感にストレスや苦痛を感じやすい子どももいます。おそらく先ほど書いたHSCの子どもは、そういう子も多いのではないかと思います。
今の時代、学校に行かなくても、学ぶことはどこだって可能です。不登校の子どもたちのためのフリースクールも増えてきたし、規律のほとんどない自由なスタイルの学校も増えてきました。海外ほどでないですが、ホームスクールの認知度も高まってきています。
失くしてはいけないものはただ一つ
ただ、たった一つ、かけがえのない失くしてはいけないものがあります。
それは、子どもと親の信頼関係で作られる、子どもの心の拠り所(心の居場所)です。
子どもが親に心を閉ざしてしまったら、ほかにどこでその子は心を開けるんでしょうか。他に居場所を見つけられるのでしょうか。
外で、辛い事があっても、それを乗り越えられる強さが湧いてくるのは、最終的に、どんな自分も受け入れてくれるという安心感、居場所があるという心の拠り所があるかどうかにかかっています。
その場所が、家にある事、親である事。
その居場所があれば、どこで学ぼうといいじゃないですか。
どこで学ぼうと、その子はその子らしく、この世の中を生きていける。
私は、自分の体験を通して、そう確信しました。