小中6年間「不登校」でもオリンピック出場を叶えた、砂間敬太選手のこれまでと想い、まとめ。

こんにちは、まゆみんです。

以前、「元不登校だった有名人18人」の記事でもご紹介していた砂間敬太さん。めでたく今回初のオリンピック出場により、砂間選手の小中「不登校」だったエピソードや、ご本人から不登校の子ども達へのメッセージや想いなどがメディアで多く取り上げられ、話題になっています。

残念ながら決勝進出は逃してしまいましたが、砂間選手のオリンピックにかけるそのエネルギーの源や想いを、より多くの親子に知ってもらいたく、今回砂間選手の不登校のエピソードから、オリンピック出場にかける想いまでまとめて紹介させていただきます。




小4から中3まで「不登校」でも、スイミングだけは“楽しかった”から続けられた。

 出典:アメブロ 人生 | 砂間敬太オフィシャルブログ Powered by Ameba
出典:アメブロ 人生 | 砂間敬太オフィシャルブログ Powered by Ameba

砂間選手はスイミングを3歳から始めています。小学生の頃、ジュニア選手の中でも目立つ存在だったそうですが、小4からの不登校をきっかけに、習っていた水泳も野球も辞めてしまっています。けれど、辞めたことで太ってしまったことや、「君なら絶対に五輪に行ける」とコーチが声をかけてくれたことがきっかけになり、小5でまたスイミングに復帰されています。

その後も、昼まで寝て、学校には行かないけど夕方からスイミングだけは行く、という本人曰く「ニートみたいな生活」を中学3年生まで送っていたようですが、そんな中でも、唯一スイミングだけは継続できていたのは「やっぱり楽しかった」のが大きいと、語られています。

「君なら絶対に五輪に行ける」

順調に記録を伸ばし、ジュニア選手の中で目立つ存在だったが、不登校になるとともにプールからも足が遠のいた。砂間選手が練習に明け暮れたプールで思い出を語る山本監督(奈良県天理市で)「君なら絶対に五輪に行ける」。小学5年の時、コーチから声をかけられてプールに戻った。 (出典:yomiuri.co.jp) 

“続けることができたのは「やっぱり楽しかった」”

「小4で一回辞めて、本当にめちゃめちゃ太ったんですよ。コーチが呼び戻してくれて、徐々に体も絞れてきた。太っているのが嫌だと思って、トレーニングはずっとしていた。最初は体づくりみたいな感じで水泳を続けていた。でも、徐々に世界で戦いたいなと思ってきて、ずっと水泳は続けてきてる」

学校には行かなくなったが、一度離れたプールに戻り、続けることができたのは「やっぱり楽しかった」ことが大きな理由。 (出典:the-ans.jp

中学も大半は行かず、友達にも会わず、水泳にだけ通う日々。

 小4で水泳と一緒にやっていた野球を辞めた。すると一気に太ったことから「これ以上、太るのはダサイ」と思い、スイミングスクールのコーチが誘ってくれたのを機に復帰。中学も大半は学校に行かなかったが、水泳だけは続けた。昼に起きて食事をし、夕方から「行くか」とプールに向かう生活。同じマンションの子供と顔を合わす程度で、学校の友達には会わなかった。(出典:the-ans.jp

「本当にニートみたいな生活をしていた」

昼まで寝て、夜のスイミングスクールで練習する。「本当にニートみたいな生活をしていた」と笑う。不登校について「特に理由はない?」と聞いても「ないです」と言い切った。当然、親にも心配をかけたという。(出典:the-ans.jp



すれ違いの末、不登校の自分を受け入れ、見守ってくれた両親の存在。

出典:THE ANSWER
出典:THE ANSWER

そんな砂間さんのご両親は、当時どんな対応をされていたのでしょうか。

2019年12月8日に放送された日本テレビ「上田晋也の日本メダル話」では、最初は母親に学校に行かないことを怒られていたことや、中学校では学校に行ってくれると信じて毎日お弁当を作ってくれたエピソードを語られています。母親の学校に行って欲しいという願いのこもったお弁当は、結局家で食べることが多かったようで、親の願いとそれに応えられない自分の気持ちに「すれ違い」があって辛かった、という過去の記憶もインタビューで語られています。

ただ、そんな親子のすれ違いの時期もありながら、その後やがて受け入れ、見守ってくれるようになってくれたご両親に、「結果で恩返ししたい」とも感謝の想いを述べられています。

「中学校になると行くと信じて毎日お弁当を作ってくれていたが家で食べることが多かった」

小学校4年生から不登校に。母には最初は怒られたが途中からなにも言われなくなった。中学校になると行くと信じて毎日お弁当を作ってくれていたが家で食べることが多かった。唯一の居場所は水泳。小学校6年生で全国大会優勝。(出典:kakaku.com

「両親はやがて受け入れ、見守ってくれるようになりました」

学校へ行きたくない自分と学校に行ってほしい親との気持ちのすれ違いがつらい時期もありましたが、両親はやがて受け入れ、見守ってくれるようになりました。水泳もやめてしまっていたのですが、コーチが熱心に声をかけ続けてくれて、再び踏み出すことができたんです。 (出典:city.tama.lg.jp

「結果で恩返ししたい」

「まだまだ上がある。それもすごく刺激になりますし、練習のモチベーションにもなります。結局、『楽しいな。水泳って奥深いし、楽しいな』って、めちゃめちゃ思います。(両親に)今まで散々迷惑もかけてきて、それでもずっと見守ってくれていた。結果で恩返ししたい。元気な姿で泳いでいるところを見てほしい」(出典:the-ans.jp




高校時代、信じて支えてくれた仲間や恩師たちの存在あったからこそ「頑張れた」。

山本監督 (出典:読売新聞オンライン )
山本監督 (出典:読売新聞オンライン )

中3の時には国体選手に選ばれるほどの活躍をしていた砂間選手ですが、本人の気持ちとしては、当時、学校も行っていないこともあって中3で水泳をやめようと決意していたみたいです。そんな時に、彼に人生の転機が訪れたんですよね。

小学校から砂間選手の泳ぎを知っていた当時天理高校教諭で水泳部監督だった山本良介さんが、「ウチに来ないか」と天理高校の水泳部に誘ってくれたのです。砂間選手を信じて「待ってたらええねん」と大きく見守り続ける山本監督や、「第二の母親」とも呼べるくらいに信頼できる恩師や支え合える仲間に出会ったことで彼の人生観にも変化が起こり、高2の頃には「水泳を人生の中心にする」と決めるまでになり、高校時代に学校を休むこともほぼなかったそうです。

中学3年時には国体選手に選ばれるほどの活躍ぶりだったが、学校には通えないまま。そんな生活への葛藤から、国体を最後に水泳をやめる決意を固めていた。(出典:yomiuri.co.jp) 

監督「絶対大きく羽ばたいてくれる。待ってたらええねん」」

高校では練習であれこれ言わずに見守った。「高校は通過点。絶対大きく羽ばたいてくれる。待ってたらええねん」。(出典:yahoo.co.jp

仲間もでき、学校に普通に通うようになった高校時代。

寮生活では支えてくれる仲間ができ、普通に学校に通えるようになった。水泳でもジュニア強化選手に指定され、国際大会に出場。山本監督は「マリモみたいな選手。水につけているだけで大きく成長した」と笑う。寮生活では支えてくれる仲間ができ、普通に学校に通えるようになった。水泳でもジュニア強化選手に指定され、国際大会に出場。山本監督は「マリモみたいな選手。水につけているだけで大きく成長した」と笑う。 (出典:yomiuri.co.jp) 

「仲間に恵まれた。だから、水泳も頑張れた」

「それまで仲間というのがいなかった。水泳に行っても“水泳の仲間”という感じだけだったんですけど、高校はクラスも3年間変わらなかったので、他競技の仲間にも、水泳部の仲間にも応援されて。寮生活だったので、勉強で入ってきた子たちとも仲良くなれて、すごく仲間に恵まれた。だから、水泳も頑張れたんだなって思います。(出典:the-ans.jp

「何でも相談できるし、聞いてくれた。家族みたいな感じです」

「敬太は来てるかな?」。朝の参拝で生徒が並ぶ列の後ろから彼の姿を探した。個人面談を毎日する気持ちで1日1回は声をかけ、コミュニケーションを深めた。「何でも相談できるし、聞いてくれた。家族みたいな感じです」と砂間さん。水泳の遠征や合宿以外での欠席はほぼなかった。(出典:yahoo.co.jp




砂間選手からのメッセージ、「不登校」の子ども達への想いとは。

そんな子ども時代を過ごしてきた砂間選手が、今回オリンピック出場を勝ち取り、その想いを様々なメディアで語られています。

「学校だけがすべてじゃないし、世界は広い」

 「五輪で活躍して、みんなに恩返ししたい」。恩師、友人たちに言ってきたことを実現できた。そして、自身の経験があるから、不登校で悩みがある人たちに伝えたい。「学校だけがすべてじゃないし、世界は広い。僕の背中を見て、何かを感じてもらえれば」 (出典:mainichi.jp

「過去は変えられないけど、未来は変えられる」

「今という時間はもう戻ってこないし、過去は変えられないけど、未来は変えられるから、一分一秒大切に生きています」と前向きにコメント。「正直に真っ直ぐにこれからも生きていきたいと思います」(出典:abema.tv

「行くなら学校の成績も完璧がよかったし、水泳も日本一がよかった」

水泳って始めるのが遅くても大丈夫。学校の勉強って少し遅れたら全くわからなくなる部分があるじゃないですか。僕、昔は完璧でいたかったので、行くなら学校の成績も完璧がよかったし、水泳も日本一がよかった。たぶん、学校は途中から行ったらわからないだろうな、という先入観が行けない理由だったのかなと、今思えばありますね」(出典:the-ans.jp

「元気な姿で泳いでいるところを見てほしい」

「まだまだ上がある。それもすごく刺激になりますし、練習のモチベーションにもなります。結局、『楽しいな。水泳って奥深いし、楽しいな』って、めちゃめちゃ思います。(両親に)今まで散々迷惑もかけてきて、それでもずっと見守ってくれていた。結果で恩返ししたい。元気な姿で泳いでいるところを見てほしい」(出典:the-ans.jp

「五輪でメダルを取り、不登校に悩む子どもらの支えになる」

高校3年の時、天理市の依頼で、不登校の子どもを抱える保護者らに体験を話した。その時に口にした目標がある。「五輪でメダルを取り、不登校に悩む子どもらの支えになる」。(出典:yomiuri.co.jp) 

“自分の泳ぎを通じ、不登校の子どもらに勇気を与えたいと誓う”

「決勝に残り、五輪を楽しんできますよ」。7月に奈良県で最終調整した際、山本監督にそう決意を語った。自分の泳ぎを通じ、不登校の子どもらに勇気を与えたいと誓う。(出典:yomiuri.co.jp) 


高校3年生の時に語っていた「五輪でメダルを取り、不登校に悩む子どもらの支えになる」という彼の目標は、(メダル獲得にはならずで)今回完璧には達成はできなかったかもしれませんが、オリンピックに出場できたことだけでも、十分に、多くの「不登校」の子どもたちやその親に勇気を与えたことは間違いないと思います。

次回もまたオリンピックのメダル獲得のチャンスはあると思いますので、どんな過去があろうとも、生きる道が人と違っても、前向きに自分の夢を追い続けるかっこいい姿を、これからも私たちに見せつけてほしいなと思います‼️



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